ぺーぶろ

神奈川県、横浜市で暮らす男の育児、日常、現実逃避。

私の曾爺さんのぶっ飛びエピソード~山売ってアメリカへ行った男~

こんばんは。ペーです。

今回は私の家族のことについて書いていきたいと思います。

中でも、私の母方の曽祖父のエピソードがかなりやんちゃしているので、まとめてみたいと思います。

 

生まれたのは元治元年

 平成から令和へ変わり、新しい時代の幕開けが叫ばれている昨今。

水を差すようで大変申し訳ないが、いきなりぶっ飛んだワードが出てきた。

 

曾爺さんは元治元年に産声をあげた。

・・・まず元治っていつだよ??

ぱっとしないので調べてみた。

安政 あんせい 1854年1860年 安政7年
万延 まんえん 1860年1861年 万延2年
文久 ぶんきゅう 1861年1864年 文久5年
元治 げんじ 1864年~1865年 元治2年
慶応 けいおう 1865年~1868年 慶応4年
明治 めいじ 1868年~1912年 明治45年
大正 たいしょう 1912年~1926年 大正15年
昭和 しょうわ 1926年~1989年 昭和64年
平成 へいせい 1989年~2019年 平成31年
令和 れいわ

2019年~

慶応の前WWW江戸時代だったWWW

新撰組池田屋事件を起こした年だ。

時代劇の話だよ。

そこから曾爺さんは第二次世界大戦後まで生きて彼の孫である私の母の顔をみていて、90歳は超えていたそうだ。

(今でこそ90歳なんてざらにいるが、当時は本当に珍しかったらしい。)

ちなみに私の祖父(じーちゃん)が大正生まれ。現役バリバリの99歳だ。

どうやら我が家は長生きの家系らしい。

 

山一個売ってアメリカへ

ãUSAãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 曾爺さんはかなり頭が切れる人物だったようだ。

明治時代になり成長した曾爺さんは

 

「これからは日本は海外のことを学ばなければならない、英語の時代が来るぜよ!」

と悟り

「そうだ、アメリカ行こう」

と今の私たちが京都へ行くかの如く何とも軽いフットワークで、アメリカへ行ってしまったらしい。

しかも留学費用として当時所有していた山を売って行ったそうだ。

親は反対しなかったのだろうか。

もちろん当時はLCCはもちろん、飛行機もなかった。

移動手段は船だった。日本に戻れる保証もなかっただろう。

それでも日本の将来のため、自身の好奇心のためにアメリカへ渡った。

 

津田梅子を「お梅ちゃん」呼ばわり

 æ°5000æ­ã®ããã¦é¢ãèåã¯æ´¥ç°æ¢å­ã

新紙幣の顔として話題となっている津田梅子だが、彼女も元治元年生まれだ。

そして同じくアメリカ留学をしていたこともあってか、曾爺さんと津田梅子は面識があったらしく彼女のことを「お梅ちゃん」と呼んでいたそうだ。

よほど親密にしていないとこの呼び方はできないだろう。

 

大学で英語を教えその裏では。。。

アメリカから戻ると曾爺さんは日本女子大学で英語の教鞭を取っていたようだ。

(おそらくお梅ちゃんのツテだろう)

もちろん当時の教師なんてそれこそ誰でもなれるものではなかったと思うので、やはりすごい人だったのだろうなと思う。

しかし、それにもまして当時曾爺さんのやっていた副職が面白い。

英語を使えることを利用し、外国人相手に日本株式の仲介業をやっていたそうだ。

当時の日記には、企業の名前と株価が書かれていた。自分はリスクを取らず中間マージンで稼ぐという、まるでジョン・ロックフェラーアメリカの富豪。スタンダード・オイル社を作り当時オイルの精製で財を成した。)のような完璧なビジネスモデルを作っていた。

ちなみにジョン・ロックフェラーが起業したのも1863年と比較的元治に近い年だ。

 

毎日の朝食はオートミール

アメリカにいた時によっぽどはまったのだろうか。

朝食は決まってオートミールだったそうだ。

当時としては輸入品だし貴重な牛乳を使うしで、結構ハイカラな食べ物を食していたようだ。

栄養かも高く、家族の中ではオートミールのおかげで長生きできたのではといわれている。(けど爺さんはオートミール嫌い)。

 

 

機会を見つけてもっと書きたい。

いかがでしたでしょうか。

 

家族のことは初めて書きますが、自分のルーツを見つめなおす良い機会にもなりました。

私が曽祖父から学ぶことは「自分を信じて悔いなく生きる」ということに尽きると思います。

当時海外に行くなんてかなりの常識はずれだったと思います。けれど彼は行きました。自分の信念に従って。。

そして「人生に正解はない」ということです。

自分らしく生きていければそれが成功なんだと思います。

 

また機会があればよく調べて書きたしていきたいと思います。

 

最後まで私の雑記を読んでいただきありがとうございました。